【新生活前の大掃除】「やめること」を決めたらラクになった話

阪口ゆうこ【ビール】

編集長の阪口ゆうこです。
どこにでもいそうなソロ好きの酒飲みで愛猫家です。

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Voicyパーソナリティ

【著書】
家族がいちばん。だから、きちんと選べる。きちんと使える。ゆるミニマルのススメ。(日本文芸社)
片付けは減らすが9割(ぱる出版)
「ひとり力」のある暮らしかた(明日香出版社)

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コラム

はじめましての方もはじめましてじゃない方もこんにちは。【編集長】でミニマリストの阪口ゆうこです。

新年度。
スプリングハズカミングやで。

世間では「新しいことを始めよう」とか「心機一転」とか、やたらめったら前向きな雰囲気が漂っていますが、私はここに声を大にして言いたい。

「無理です」
「むしろ人生お休み中です」
「なんならまだ冬を引きずらせてください」

そもそも生きるだけで精一杯な人間に、さらなる挑戦を求めるなんて。わたる世間は鬼ばかり。

新生活だろうが、新年度だろうが、メンタルの充電が枯渇していると何もできないのです。

…ということで、私は考えました。

「新しく始めること」じゃなくて、「やめること」を決めよう。と。
今日はその話をしようと思います。

思考放棄で「またごはん行こうね」って言うのやめる

社交辞令界のレジェンドトーク。

「またごはん行こうね」

あれ、みんな本当に行く気ありますか。これを思い返してみたのですが…

「またごはん行こうね」と言われた回数:約10回
実際に誘われた回数:1回

打率1割。43歳プロ野球選手なら即で引退を考えるレベル。
逆に、私が言う側だった場合に関しては、

連絡した回数:ほぼゼロ。

もはや「またごはん行こうね」は、ただの音。
「今日さむいね」とか「風強いね」とかと同じ類。
お誘いのフレーズなのに、感情動かざること山の如し。

そこで決めました。
今年から、「またごはん行こうね」って言うのやめる。本当に行きたいなら、その場で予定を決める。
相手に言われたら、「いつにする?」と詰め寄る。
「暇になったら」が返ってきたら永遠に無いと思え、自分よ。

これで、今後の人生、社交辞令にて消費されるエネルギーをカットできるはず。

自分の勘を軽視するのやめる

ここ数年、何度もこう思った。

「なんかこの人怪しいな」
「この話なんか違和感あるな」

で、毎回こうやって自分を納得させるんですよ。

「いやいや、私の考えすぎかも」
「相手を疑うなんてよくないよね」

で、結果どうなったかというと——

見事に私の勘が当たってた。

「やっぱりこの人とうまくいかなかった」
「なんか謎の違和感あったけど、やっぱりこの案件やばかった」

何度も繰り返した結果、気づいたんです。

「私の勘、めちゃくちゃ優秀やないか」

人生の先輩が言う「長年の勘」って本当にあった。
経験値の蓄積によって、「これは怪しい」「これは地雷」と、察知する力が身についてる。UMAレベルに思ってたけど、私にも備わった。

なのに、なぜ今までそれを「気のせい」扱いしてきたのか。それは自分に自信がなかったから。

第六感が疼いたら即警戒。
自分の勘、これからは全力で信じます。

新年度の目標を立てるのやめる

この時期、SNSを見るとみんな意気揚々と「今年の目標」を掲げてるけど、私は思うんですよ。

「…みんな元気あるなぁ(微笑)」

私は、目標を何も立てずに過ごしているのだけど、——めちゃくちゃラクです。
心がふわっと軽くなった。
「やらなきゃ…」というプレッシャーは決して嫌いじゃない。でも、達成できなかった時の自己嫌悪の落ち込みに、もう耐えられない。

こちとらメンタル落ちて人生お休み中なんじゃい。そう言いたい。

だから今年も目標なし。潔っ。

目標がないと何がいいかって、「生きてるだけで100点!」の気持ちになれること。

「今日も起きた。天才!」
「ごはん食べた。偉い!」

こうやって、日々の些細なことに目を向けて生きられる。
実際、ちょっとしたメンタル不調にも気づけて、人生お休みの選択ができた。ダークサイドに落ちずに済んだ。

ビバ! NO目標生活!

さて、みなさんはこの春、何をやめますか?

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